―福岡市は医療の原点に戻れー
久保田産婦人科麻酔科医院
院長 久保田史郎
院長 久保田史郎
医療はサービス業である事を忘れてはならない。
医療の中心は患者である。患者の生命を守るのが医者である。
患者と医師を支援し、福岡市民の健康と生活を安全に守るのが行政である。
福岡市立こども病院の人工島移転の一番の問題点は、行政が患者サービスを無視し、市が中心となって新病院の建設計画を進めている事である。患者サービスとは高度医療や豪華な病院の提供だけではない。病院までのアクセス、経済的負担(入院費・交通費)をいかに少なくするかは患者家族にとって重大な問題である。患者サービスなしで医業経営は成り立たない。福岡市は患者家族や専門医(産科・小児科)の意見を聞き、患者が安心する医療サービスに目を向けるべきである。人工島がこども病院の移転地に本当に最適かどうか、福岡市は医療の原点に戻り計画を見直すべきである。新こども病院の建設が成功か、失敗か、その鍵は場所(アクセス)で決まる。膨大な赤字財政に悩む福岡市に失敗は許されない。失敗は未来のこども達に「負の遺産」を残すからである。
2008年年11月9日、市内の産科開業医の有志はこども病院の人工島移転反対に立ち上がった。人工島が何故悪いのか、その理由について産科専門医の立場から意見を述べる。
1、人工島の問題点
市内中心部からのアクセスが悪い。人工島は緊急を要する胎児のハイリスク疾患を扱う場所ではない。
妊娠中に胎盤が剥がれ、突然の大量子宮出血で生命を脅かす胎盤早期剥離・前置胎盤は、出血から治療(帝王切開・輸血)を開始するまでの時間が母児の予後を決める。妊娠高血圧症に合併する妊婦の脳出血・子癇発作(意識消失)、呼吸管理を必要とする低出生体重児・新生児仮死など、周産期医療の全ての病気が母児の生死に関る救急疾患である。これらの病気は稀ではなく、ある日突然に、予告なしに、24時間いつでも発症する。母児の救命率と脳に障害を残すかどうかは初発症状から治療開始までの時間に大きく左右される。
平成14年7月17日 福岡市病院事業運営審議会において、こども病院院長福重先生は、院外からこども病院に搬送されて来られる低出生体重児の場合、30分が赤ちゃんの一生を決めてしまうと報告されている。真に、周産期医療は時間との戦いである。以上の理由から、市内の産科開業医は搬送に時間がかかる人工島ではなく、アクセスの良い医療スタッフ(産科・麻酔科・新生児科・小児外科)が揃った九大病院・福大病院の総合周産期母子医療センター、ドクターカーを持ち救急医療に積極的な春日市の徳洲会病院に患者を搬送する。今の搬送の流れは人工島に周産期センターが完成しても同じである。東区を除いた市内の産科開業医はハイリスク患者を専門医が揃った医療レベルの高い九大病院を通り越して遠い人工島へ患者を搬送するケースは極めて稀と考えられる。何故ならば、治療が遅れ母児に異常が発生した場合に、医療事故(裁判)に発展するケースがあるからである。産科開業医からの患者紹介が少ないために周産期センターのベッドはガラ空きとなり、福岡市は膨大な赤字を覚悟しなければならない。アクセスの悪い人工島に分娩施設を建設する計画案そのものが大きな誤診である。誤診の理由は市が患者家族・産科開業医の意見を聞こうとしなかったからである。
2、産科医不足の問題点
分娩施設を備えた豪華な新こども病院が出来たとしても、そこで働く産科専門医をどの様にして確保するのか、周産期医療に携わる専門医・スタッフの確保は新病院の建築以上に難しい問題である。国は医師不足対策として来年から医学部入学の定員を増やすと発表したが、一人前の産科医になるためには医学部入学から早くでも12年〜15年かかる。過酷な労働条件、医療訴訟が多い、自由な時間がとれない、などを考えると産科医への特別な待遇改善がなければ産科医志望者は多くは望めない。
■こども病院周産期センターで働く産科医の人数は最低10人以上が必要
福岡市は産科医の数は当初4名と発表した。4日に一回の当直(一人当直体制)、救急のハイリスク患者を深夜一人で管理する事はまず不可能である。2人当直体制で5日に一回の当直、最低10人の産科医の確保が必要である。市は産科医を確保するために全国公募をすると発表したが、余程の待遇改善が無い限り全国から産科医が集まる見込みは無い。
■人工島における周産期センターの新設は暴走行為
福岡市立病院の産婦人科は4年前から医師不足のため産婦人科病棟は閉鎖されたままである。産科医不足は福岡市でも例外ではない。高度医療が求められる周産期センターが計画通りに機能するかどうかは、産科専門医を福岡市が何人確保できるかで決まる。正常分娩は産科医と助産師だけでも管理が可能であるが、ハイリスク疾患のお産には産科医の他に、麻酔科、新生児科、小児外科などの専門医の協力が不可欠である。ところが、周産期医療に携わるこれらの全ての科の専門医が著しく不足している。そのため、日本では医療の効率化(集約化)が進められているが、こども病院の周産期センターの新設は時代の流れに逆行する暴走行為である。
3、正常分娩を扱わない周産期センターの問題点
胎児のハイリスク疾患だけを対象とした新こども病院の周産期センターの収支は、膨大な赤字を覚悟しなければならない。胎児のハイリスク疾患だけでは入院患者は少なく、医業収益は極端に少ないからである。しかし、極めて少ない胎児のハイリスク疾患を、24時間体制で管理するためには最低10人以上の産科医と15人以上の助産師の確保が必要である。その支出(給料)に見合う収益を上げるためには、ハイリスク疾患の他に、年間1000例以上の正常分娩をしなければ赤字は雪ダルマ式に膨らむと予測される。日本中どこを探しても胎児のハイリスク疾患だけしか扱わない周産期センターは見当たらない。その理由は、@胎児のハイリスク疾患だけでは大幅赤字となる、A産科医不足のため正常のお産をする施設が全国に少なくなっているからである。
■ 今後、福岡市が胎児のハイリスク疾患だけでなく正常分娩を扱う計画に予定を変更したとしても、福岡市内(東区以外)から正常の妊婦さんが人工島まで妊婦健診・分娩に通う事は危険である。救急車以外の自家用車・タクシー・バスでは時間がかかり過ぎるため、陣痛が始まって病院に到着するまでの間に車中分娩などの事故が間違いなく増えるからである。アクセスの悪い人工島はハイリスク疾患だけでなく、正常分娩も安全に行える場所ではない。
■ 将来は正常分娩を扱える施設でなければならない
東京都と異なり、福岡市で生まれる赤ちゃんの約7割が産科開業医で出生している。出産を扱う開業医は高齢化し、後継者も少なく、遠くない将来に福岡市でも「お産難民」が出てくる。このような状況を踏まえて、妊婦さんが気軽に通える市内の中心に新こども病院を建設すべきである。正常のお産が出来ない周産期センターを福岡市は何故に建設しようとするのか、誰のための病院か、病院を作る目的は何か、その計画案は疑問だらけである。正常分娩もしない、母体のハイリスク疾患もしない、胎児のハイリスク疾患だけしか扱わない福岡市立こども病院周産期センターの設立、税金の無駄使いである。
4、自然の怖さを甘く見ないで
2009年7月、北海道大雪山系の夏山登山、低体温症で10人が凍死。
北部九州・集中豪雨で高速道路に土砂崩れ、二人の死亡が確認された。自然の怖さを改めて思い知らされた痛ましい事故であった。事故をなぜ未然に防止出来なかったか、いずれも責任問題が問われるであろう。いつ何が起こるかが分からないのが自然の怖さである。人工島の問題はアクセスが悪いだけではない。人工島に架かる橋、病院までの高速道路は地震・台風・大雪などの自然現象に脆いからである。こども病院だからこそ、地震・雨・風・雪などの自然の悪戯に打ち勝つ地盤の強い安全な場所を選ぶべきである。自然現象による想定外の事故が起こったとしても、自然の悪戯を予測出来なかったと、言い逃れは出来ない。
5、市内の産科開業医はドクターヘリではなくドクターカーを望んでいる
福岡市中心部から利便性の悪い人工島にこども病院を移転させ、そこに周産期センターを新設する事は産科開業医にとって利用価値が少なく、税金の無駄使いである。東区(2施設)を除く市内の全ての産科開業医はハイリスク患者を人工島に搬送するメリットは極めて少ない。利用価値の少ない人工島での周産期センターの設立を取りやめ、その予算の一部で九大・福大の総合周産期母子センターを経済的に支援する方が患者・産科開業医にとってメリットが多い。人工島にドクターヘリが計画されているが、市内の産科開業医はドクターヘリではなく、市民(患者)・産科開業医に役立つドクターカーを望んでいる。福岡市はこども病院の人工島への新築移転問題をいったん白紙に戻し、日本一、安全・安心・快適なお産が出来る都市づくりを目指して、より健康なこどもが育っていく環境をつくるべきである。